大学に行く理由は社会人として必須の 素養を身につける場所でいい

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大学に行く理由は社会人として必須の 素養を身につける場所でいい

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なぜ大学へ行くのか

なぜ大学へ行かなければならないのだろうか。
本来は大学へ行きたければ行けばいいと思うし行きたくない人は行く必要はないのです。

大切なことは自分がどんな一生を送りたいかなのですが、高校生レベルではまだ人生の答えを出せないので、とりあえず4年間かけて考えて見ようと言うことになります。

大学へ行くことは親にとっても一番簡単な選択であり世間並という安心感が得られます。

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子供にとってもプロのサッカー選手やプロの野球選手になるよりは楽な選択になりますし高校を卒業してからいきなり大工や職人や料理人の修業をしろと言われても面喰います。

世間体も考えますと、とりあえず世間並みの学校を出てという事になり親の世間体のためにも
どこかの大学にひとまず身を置くことで満足しているのが現状なので、大学さえ出ていれば
何とかなると思い込んでいるようです。

これが当世の大学入学事情ということになりますが、結局は自分の人生は自分で決めるしかないです。

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大学は社会で生きていく上に必要な素養を習得する場所

結局は親も大学も悪くはなく最後は自分で自立しなければ生きて行けません。大学出て引き籠もりやニートになったのでは論外ですし昔の親は必ず言った言葉に、とりあえず手に職を付けておけというのが常識としてありました。

その頃は大学とは親の反対を押し切って行くとこであり、学費も生活費も自分で稼ぐしかなかったのです。それが今も語り草になっている苦学生ということになりこの言葉は今や死語にさえなっております。

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そして更に昔は大学へ行くと馬鹿になって帰ってくると本当に思われておりました。つまりは世間知らずの役立たずの人間になって変な理屈だけは一丁前と言われてバカにされていたのです。

ですから昔は義務教育を修了しれば、どうやったら一人前の人間とし生きていけるかを真剣に考えていました。

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世間体よりも昔の親は先ず生きていくことを最優先にしていたのです。それは一人前の社会人になる事・経済的に自立する事・所帯を持つ事・他人や世間に迷惑をかけずに一人前に生きていけるようにすることを目的としていたのです。

更に言えば昔の親や教師は子供達が社会に出たときに困らないようにということで必要な事、基本的な事を躾として繰り返し厳しく言って来たのですが今は違います。

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例えば挨拶の仕方や口のきき方や礼儀作法といったことは事ある毎に躾として教えてきました。本来はそれを教育と言っていたのですが、これからはその役割を大学に求めるも一つかもしれません。

社会で生きていく上に必要な素養を習得できない内に世間に放り出される前に大学で社会人として必須の素養を身につける場所と考えれば大学を出て置くことは悪くは無いと言う理屈だけは何とか成立しそうです。

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