変えるべきは高校教育ではなく、大学教育ではを真剣に考える時期だ!

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大学教育を変える

大学入試の英語民間試験で日本の英語教育が色々と批判されておりますが…。

じゃあ、どうすればいいの?って話。

私は現行の授業を知らないので、なんとも言えないのですが、読み書きに特化した授業が悪いとは到底思えません。

なぜなら、読み書きできることは、何より重要で、その後の学問は自分で広げることができるからです。

それが、逆、すなわち話す聞くだけができるとそのあとの学問を広げるのは相当困難です。

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そもそも、良く聞く

「日本は中高と6年間も英語教育していながら、話せないのは教育が間違っている!」というのは本当に正しいのでしょうか?

気になったので、中高の英語の授業時間を調べてみました。

そうすると…

・中学一年…140

・中学二年…140

・中学三年…140

・高校一年…175

・高校二年…175

・高校三年…175

合計…945時間

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おわかりでしょうか?

6年間で1000時間に満たないんです、英語の授業時間数。

ちなみに、これは2017年からの学習指導要領の設定値であり、2017年以前は840時間です。

予想以上に少ないと思いませんか?

これで、ネイティブと互角に話せるくらいにペラペラ話せるようになることを期待するのは酷ではありませんか?

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945時間を24で割ると、約40日です。

短期留学を考えたときに、睡眠時間を除くとちょうど2か月分に相当します。

え?

って思いませんか?

たった2か月で、英語がペラペラ話せるようになった方、どの程度います?

少なくとも、半年から一年は必要でしょう。

これでは話せるようになるのは不可能というものです。

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それでも、高校卒業して、大学合格する人は、海外の研究論文を読み、自分で論文を書き、なおかつ日常会話なら困らない程度の英語力はついています。

十分じゃないですか?

ペラペラ話したい人は、ペラペラ話すための教育なりなんなり自分で受ければいいというだけの話。

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大学教育は大いに変える必要がある

ただ、私は大学教育は変える必要があると思っています。

さすがに最高学府の教育とは思えないからです。

私自身旧帝大に行っており、それなりの教育を受けたつもりなのですが…

はっきり言えば、私が行った大学で、心から尊敬できる教授に出会えることはありませんでした。

全然学生を育てようという気がなかったんです。

もちろん、教授は研究者であり、教育者である小中高の教師とは異なるという認識は当然持っています。

それにしても酷かった…。

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特に私が所属していた研究室の教授は、学生相手にマウントを取るのが趣味みたいな人であり、わざと分かりにくい言葉を用いて学生に質問して、

「今どきの学生は、こんなことも知らんのか?」

と悦に入るようなクソみたいな教授でした。

研究の内容についても相談に行っても、有用なアドバイスは何もいただけず、院まで行く意味があるのかどうか悩んだくらいです。

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英語教育も、高校の延長のような教科書教育でした。

当時、とあるワールドカップが盛り上がっていた時、日本が勝ちあがっているから休講が決まるような適当な授業でした。

多分、他の大学も似たり寄ったりでしょう。

本当に高い学費を払って受ける価値がある講義をしている大学は、ほんの一握りなのではないでしょうか。

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こういうこと書くと、

「大学は自分で勉強するところ!」

と、ことの本質を何も理解していない方が反論してきそうですが、それは私も重々承知しています。

であれば、高い授業料を払わせる意味って何なんでしょう?

大学の四年間は、親元を離れる人も多く、教育段階で最もお金がかかる時期です。

高校までとは比較になりません。

そんなに高い金を払わせるのであれば、それに見合った教育を施してほしいし、自分たちで何とかしろ!っていうスタンスなのであれば、高い授業料を取るのは止めてほしい。

ということで、大学の教育は変えるべきであると私は思っています。

日本の最高学府が、世界に誇れる教育を行っているとは到底思えません。

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