もくじ
東大合格トップ女子校 桜蔭中学校高等学校(下)の原点は「学びへの渇望」
桜蔭中学校高等学校の名物授業の一つが水泳だ。約50年前にできた温水プールは当時珍しかったが、老朽化に伴い学校創立100周年記念事業の一環として建て替える。100年の歴史を経て、桜蔭が「変えるもの」と「変えないもの」は何か。
礼法に並ぶ名物授業は水泳
全国屈指の大学進学実績で知られる桜蔭は、関東大震災の翌年の1924年に、男性と同等の学びの機会を渇望する女性たちによってつくられた。
建学の精神は「礼と学び」。中学の3年間と高2で必修の「礼法」が桜蔭の名物の一つであるが、もう一つ、桜蔭生にとってはもはや日常になっている名物がある。「水泳」だ。
「創立2年目に千葉の富浦で水泳の指導を行ったという記録も残っています。創立当初から、知力と体力は車の両輪だと考えられていたようです」と言うのは、自身も桜蔭の卒業生である齊藤由紀子校長。齊藤さん自身も臨海学校に参加した経験があるという。
大正時代の職員会記録にも臨海学校の記述がある
もっと気軽にいつでも水泳指導をできるようにと、いまからおよそ50年前、当時としては珍しかった温水プールを東館内に設けた。現在桜蔭では、全学年において5月から11月まで毎週1回の水泳が必修だ。
高校の3学年では、クラス対抗の水泳大会も開催される。アーティスティックスイミング(旧・シンクロナイズドスイミング)のような見せる水泳に挑戦する「リズム水泳部」という部活もある。
「ですから桜蔭生はみな、クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライの4種目はもちろん、古式泳法の『のし泳ぎ』や、着衣水泳もできます」と齊藤さん。高3の水泳大会では希望者がリズム水泳に挑戦することもある。
しかし2021年7月に中2を対象として行われる「水泳特別指導」で、桜蔭の温水プールは半世紀におよんだその役目を終える。24年の創立100周年記念事業として、温水プールを擁する東館の建て替えが決まったのだ。
21年8月から取り壊しが始まり、23年10月には新しい東館が完成する予定。もちろん、プールがなくなるわけではない。新しく生まれ変わる。
「狭いところなのでなかなか思い切ったことはできないのですが、建物を1階分高くして、理科用のフロアをつくります。いままで理科教室がバラバラでしたので。プールも体育館も新しくします」と齊藤さん。
新校舎建築委員長でもある小林裕子教頭は「メンテナンスも大変ですし、お金もかかりますし……。プールを壊して別の施設にする学校が多いなかで、もちろんプールは残すという判断をするところが桜蔭らしいなと思います」と目尻を下げる。
一方、齊藤さんは「東館の建て替え期間中の水泳をどうするかが目下の悩みです。どこか近くの施設を借りられればいいのですけれど、いまはコロナもありますから、なかなかお願いしづらいんです」と語る。
新東館は、地下1階・地上5階建て。地下1階に温水プール、1.2階は普通教室、3階に理科特別教室を増設し、4階が体育館になる。体育館脇にはトレーニングルームができる。普通教室にはICT(情報通信技術)機能を充実させ、生徒たちが気軽に使える相談コーナーや多目的教室も設ける。もちろんバリアフリーにもなる。
新校舎建築、新たな100年始まる
桜蔭は、JR水道橋駅前の丘の上にある。公道のT字路を挟んで、本館、西館、東館、講堂が向かい合う。本館は1931年(昭和6年)に建てられたもの。
事務所入り口のドアの取っ手や、階段踊り場のステンドグラスの趣などが、当時の様子をいまに伝える。
T字路を挟んで本館(左)、東館(右奥)、講堂(右手前)が向かい合う
規律と協調性をテーマにした現代的なデザインで西館と東館が統一されたうえで、昭和初期の面影を残す不動点としての本館とも調和しながら、桜蔭の新しい100年が始まる。
もともと桜蔭は、女性が大学に通うことすら許されていなかった時代に、男子と同等の教育を行い帝国大学(現在の東京大学など)にだって合格できるほどの学力を身につけさせることを目的として設立された。
現在の桜蔭はすでにその目的を達成している。
これからの社会における桜蔭の役割は何か。これからの100年で、桜蔭はどんな教育をしていくのか。
「どのような状況にあっても、きちんと考え、感じることができる生徒を育ててゆくことが学校の役割だと考えています。現在のコロナ禍に端的に示されているように、現実社会においては『解決方法が明確でないこと』『すぐに結論がでないこと』がほとんどではないでしょうか」。
「大前提が違っているのでは?」と気づく感性
「精神科医で作家の帚木蓬生(ははきぎほうせい)さんが『ネガティブ・ケイパビリティ(答えの出ない事態に耐える力)』ということをおっしゃっていますが、生徒たちにはまさにそのような力を身につけて社会に巣立っていってほしいと思います。
そのためには、知識や論理の力だけではなく、『なんだか変だな』『そんなに簡単に解決するのかな』『そもそも大前提が違っているのでは?』という実感が大切です。
桜蔭での6年間の学びを通して、明確に言語化できなくても、『おや?』と感じるバランス感覚を磨いてほしいと思います」
昭和初期の面影を残す本館
ものごとがどんどん進んでいくなかであえて一度立ち止まってみる力、みんなが当たり前だと思っていることをあえて疑ってみる力、そして、ときにはあえて予定調和的な空気に抗(あらが)う声を発する力……。
こう並べてみるといかにも現代風な力に思えるが、振り返ってみれば、大正時代において女子が男子と同等の教育を受ける権利を主張し実際にそのための女学校を創設してしまう力も、本質的には同様のものであったはずだ。
桜蔭の本質は、やはり変わっていない。変わらぬ本質があるからこそ、そのうえに歴史が積み重なり、文化が醸成され、学校として進化し続けることができる。
桜蔭が桜蔭である限り、水泳の授業を終えた高校生たちが濡(ぬ)れた髪のまま公道を渡り教室に戻っていく風景も、きっとずっと変わらない。