もくじ
東大合格トップ女子校 桜蔭中学校高等学校(上)の原点は「学びへの渇望」
桜蔭中学校高等学校は国内有数の進学校。だが、そんなイメージとはかけ離れ、大学受験との関係が薄そうな道徳の授業にも伝統的に力を入れている。生徒が自分の頭で考え、自分なりの行動規範を身に付けるためだ。
女学生の「学びへの渇望」が学校創立の原点だった桜蔭の現場を少し覗いて見ました。
女子校としては唯一、東大合格者ランキングトップ10に名を連ねる桜蔭。医学部進学者数の多さでも有名な、日本屈指の進学校である。
この日、中学1年生の教室では、齊藤由紀子校長自らが教壇に立っていた。桜蔭では、中1の道徳の授業を、校長自らが担当するのが習わしになっている。初代校長が修身の授業で語った「学べや学べ、やよ学べ」は、いまも桜蔭の合言葉として有名だ。
「前回は、自分と向き合うというテーマでした。授業後に集めたみなさんのリポートには、『短所もとらえ方によっては長所になるんだとわかりました』とか『気分が明るくなった』とか『桜蔭にはやっぱり努力家が多いんだなあ』などのコメントがありました。
朝起きて、鏡を見て、今日はちょっと調子が悪いなと思うこともあるかもしれませんが、そんなときも、自分のいいところを思いだして少しにっこりできるようになってほしい、自分を好きになってほしいと思います」
齊藤さんの語り口は溌溂(はつらつ)として軽快だ。しかも声に張りがあり、教室の空気をびーん、びーんと震わせる。それで自然に、生徒たちの意識が引きつけられる。
「今日から3回にわたって、桜蔭学園97年の歴史について話していきたいと思います。97年の間に校長先生が何人いたと思いますか? 私が9人目の校長です。私が入学したときの校長は、第3代の水谷年恵先生でした。高校に上がるときに、木村都先生に代わりました」
齊藤さん自身、桜蔭の卒業生でもあるのだ。
「水谷先生はとてもカリスマ性があって、詩のようなお話をする先生でした。一方、木村先生は化学の先生で、スピーチにはいつもきっちりとした原稿を用意する方でした。いま思えば、私たちは生意気でしたね。
『原稿を読むようなスピーチでは、私たちの心には響きません』と、担任の先生に文句を言ったんです。すると木村先生は、『自分は科学者である。水谷先生のような話し方では、自分は自分の考えを正しく伝えられない。私は私のスタイルでやります』と、担任の先生を通してはっきり回答してくれました。
しばらくすると、木村先生のスタイルに、私たちも慣れていきました」
目の前の校長先生も、自分たちと同じように制服を着て、同じように先生の話を聞いていたことが、生徒たちに伝わる。
配布されたプリントには、「問1、桜蔭女学校が設立されたのはいつですか? また、設立したのは何という団体ですか? それはどのような人々の団体ですか?」とある。学校パンフレットを資料として、その場で生徒たちに答えを探させる。
答えは「大正13年(1924年)、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)の同窓会組織『桜蔭会』によって設立された」である。プリントにコピーされた古地図とも照らし合わせながら、東京女子高等師範学校がもともとは御茶ノ水の駅前にあったことや、その周辺が「桜の馬場」と呼ばれていたことから「桜蔭会」の名前が付けられたことなどを説明する。
帝大に入る実力を備えた女学生を育てる
戦前、女子は大学に通えなかった。しかし文部省の虚を突いて、東北帝国大学が1913年に3人の女子を入学させた。そのうち2人は桜蔭会のメンバーで、教員としてキャリアを積んでいるひとたちだった。
問2は、「なぜ女学校を作ろうと思ったのでしょうか? 当時がどのような時代であったか、どのような出来事があったかをふまえて説明してください」。
現在の桜蔭の校地は、もともと桜蔭会の事務所があった場所。しかし1923年の関東大震災で焼失した。その跡地に、せっかくであれば新しい学校をつくろうということになった。女子教育のニーズは高まっているのに、女学校の数が圧倒的に足りなかったからだ。
授業では職員会記録なども使い、当時に思いをはせる
「桜蔭会は、学びを渇望するひとたちの集まりでしたし、当時男性だけのものだと思われていた帝国大学に実際に入ってしまうようなひとたちのグループでしたから、当然、帝国大学に入れるくらいの実力を備えた女学生を育てたいと考えて、初めは5年制のうえに2年の専攻科も計画していました」
開校当初の写真や職員会議の記録などを見せながら、原初の桜蔭の姿に思いをはせる。次の問いは「初代校長は誰ですか? どのようにして選ばれましたか?」。
初代校長は後閑キクノ。後の昭和天皇の后(きさき)が皇太子妃に内定したときに教育主任を務めた人物で、桜蔭会約2800人のメンバーから、選挙によって校長に選出された。女性に選挙権がなかった時代における、大正デモクラシーそして女性解放運動の機運を象徴するエピソードでもある。
「女性には参政権すらない時代に、男の子と同じだけ勉強をして帝国大学に入学するに足る学力をつけるための学校として桜蔭がつくられたことが、よくおわかりいただけたのではないでしょうか。みなさんはその歴史を背負っているわけで、勉強するのが大好きですね? ……お返事がないようですね(笑)」
真剣に聞いていた生徒たちも、ここで思わず吹き出す。
授業後、齊藤さんに狙いを聞いた。
「この学校は、お金持ちがポンとお金を出してくれてできた学校ではなくて、学びを渇望する女性たちが、寄付をしたり、無料で授業を担当したりして、少しずつつくられた学校です。
桜蔭の学びは決して押しつけられたものではなく、自ら渇望して手に入れたものだと、この授業を通してちょっとでもわかってもらえたらいいなと思ってます」
次の授業では、やむを得なかったとはいえ、学校として戦争に協力してしまったことも事実として伝える予定。学校の負の歴史も語り継ぎ、2度と同じ過ちを犯さないためのヒントとしてもらうためだ。
このように、1学期は学校の歴史を中心に話すが、2学期以降は、自分の頭で考えるための素地を養うという。
あいさつはすべきか? 読書するひとは偉いのか?
毎回のテーマについて、自分の意見を文章に書いて発表して話し合うのがこの授業の基本サイクル。
たとえば「あいさつをし損ねて、後悔したことはないですか?」と問う。あいさつしようと思ってもできなかったり、逆にあいさつしたのに返事をしてもらえなくて傷ついたりした経験を話し合う。
「みんなにそれぞれの事情がありますから、いつでも気持ちよくあいさつできるとは限りませんよね。でもあいさつとは、『相手がそこにいることを認めています』と伝えることだと私自身は考えています。
ですから、こちらからあいさつをして返事がなくても私は気にしませんという話を、生徒たちにはします。そうすると、彼女たちも気が軽くなるようです」
「読書」をテーマにするときは、「読書は本当に必要なのか?」と問う。「多くの大人たちは読書をしなくてはダメだと言うが、では、読書をしないひとたちはダメなのか」「スポーツや楽器をしなくてもダメとはいわれないのに、読書をしないひとにはダメというのはおかしいのではないか」という問いである。
現在地にはもともと東京女子高等師範学校の同窓会の事務所があった
「生徒たちの多くは、読書はしたほうがいいと刷り込まれています。読書にはほかでは得られない価値があることも生徒たちはわかっていますが、それでも『読書をしてこなかったひとがどうなっても自己責任だ』というのはちょっと違うんじゃないかということに、生徒たちは気づきます」
その延長線上に経済格差の問題にも触れる。
「本が欲しいといえば、その何倍も買ってこられちゃうようなご家庭に育った生徒たちがうちには多いと思いますけれど、それは決して当たり前のことではなくて、そもそもスタートラインが違っていることに気がつきます。
これからさまざまなことを自分の頭で考えていく大前提として、自分たちは大変恵まれた特殊な立ち位置にいるということを、常に心の片隅に置いておいてほしい意図があります」
桜蔭の道徳は、既成の社会規範を押しつけるものではない。この社会でなぜそのような道徳が求められるのかを考えさせ、道徳の中の本質を抽出し、自分なりの道徳観とそれに沿った行動様式を成立させるためにある。
このたびの新学習指導要領による、いわゆる「道徳の教科化」とは無関係に、昔から続けられてきた授業である。
Amazonアソシエイト直