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東大生が使えないが急増中?・社会で東大卒が通用しないワケ
日本の最高学府と謳われ、政界、学界、経済界に多くの優秀な人材を送り続けてきた東大だが、昔から「東大までの人」と呼ばれる人もいる。「東大までの人」とは幼い時から神童として周りから認識されていたが、卒業後社会で力を発揮できない人たちのことだ。
「東大までの人」は“大学入試まで与えられた課題を真面目にコツコツやる”というスタンスのまま社会人になってしまっており、東大学生時代の4年間で何もスキルを身に着けていないのだ。
また、東大生は入学当初はエリートであるが、その後“エリート社会人”になるための教育をされていないとも。つまり、“問題発見型の人材(言われなくてもやる人間)”を求める現代の企業ニーズに合わせた教育を行っていないことで「東大までの人」が生まれているというわけだ。
東大教授陣もこうした現状を危惧してはいるものの、多くの教授は「入ってくる学生の資質に問題がある」、「野心のあるタイプが減った」と学生に対する問題点を指摘するばかりで、自らの教育スタンスに疑問を持つことが少ないのだ。
何十年も同じ内容の板書をし、黒板に話しかけているかのような授業を続ける教授、どう学生を指導していいかわからない教授など、どうしようもない“タコツボ教授”でいっぱいなんです。一度なってしまえばずっと居座れるので、教授にとって東大は天国なのだ。
事態の改善には人事システム改革が必要だと断言する。現在、大学教授は学問が細分化されていく傾向もあり、専門分野にライバルがおらず、お互いに干渉することも無いので教授同士の競争も起こりづらい。
これを廃し教授たちにも出世レースが起こるようにすることで教育のレベルも上がり、大学も生まれ変わっていくのだ。国内で最優秀の学生を集めている大学には、それをいまの社会に役立つ人材に育て上げる責任があるはず。
東大が日本をダメにした。という過激な告発は、きっと東大に期待しているからこそのエールなのだ。
東大入試問題100年前は 「語学力」あれば合格?!
東大入試目前、受験生たちは追い込みに必死だろう。ところで、100年前の東大ではどんな入試をしていたのだろう? そんな素朴な疑問から昔の入試問題を掘り起こした。大正時代の東京帝国大学の入試問題をみていこう。
まず驚かされるのは、入試問題のほとんどが語学力を問うものであることだ。「当時は、医学、法律、工学など、どの分野においても、欧米のものを輸入して研究していたのだ。必須なのが語学力でした」
特に、最難関の法学部では、大正から戦前期までを通して、語学以外の科目をほとんど課していない。ひたすら欧文和訳(英文のほかに独文、仏文)と和文欧訳である。それほどに、かつての東京帝国大学は、「語学」を必須と考えていたのだ。
当時の英語の問題を見ると「大正時代の問題をいま見ても、古さが感じられません。いまの問題だと言われても納得します。いまの受験生がこの問題を解いて勉強しても、実力がつくと思います」
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情報産業の営業現場で働く社員は、東大卒の新人社員にこう言われて唖然としたという。この新入社員はさらに、「教えられないとできませんよ」とまで言い放ったのだ。
「民間企業は、少し前までは東大生なら喜んで採っていました。でも、最近はそうでもない。使えない東大卒社員も多いからです。ある企業では、何人もの東大出身者が20代で見限られたそうです。詰め込み型の受験勉強をしてきたので、タイプ別に分類して、こういうときはどうしたらいいですかって、いちいち教えてもらおうとする。でも、そういう社員は手がかかるし、できる上司には疎んじられるんです」
東大合格者を(1)学級委員長などもこなし、1番であろうと頑張り続けてきた人(2)教養もある本当に優秀な人たち(3)勉強だけができる人たち――の三つに分類する。このうち、社会で役に立たないのは、(3)のタイプだ。
「1番であり続けようとする力や、深い教養は社会に出てからも生きますが、勉強ができるだけでは、社会ではやっていけません」
東大の合格者は年間約3千人。社会に出てうまくやっていけないのは、合格の順位が半分より下の学生に多いそうだ。
「こうした層の学生は、東大の合格自体が目標になっていて、その先の目標が見つからないんです。一生懸命勉強した、受かった、東大すごいだろって、権威に頼ってしまう。
本当に自分に自信があったら、東大なんて行く必要ないのだ。
3月10日は東大の前期の合格発表?。だが、苦労して入学しても、社会に出て、「東大卒なのに使えない」と言われ、ぱっとしない人生を送る人もいる。合格を人生のピークにしないためにどうしたらいいのか。
社会に出てから伸びるタイプにも、共通点がある。伸びる人は、在学中に学びたいことややりたいこと、卒業後になりたい職業などのイメージを明確に持っている。
「いまの時代、官僚はたたかれるし、弁護士になっても食えないこともある。大企業だってつぶれることは十分あり得ます。東大を卒業しても安泰じゃないということは、高校生だって分かっている。それでもなお、大変な勉強をして東大を目指そうという優秀な生徒の多くは、自分なりに目標を持って、東大を『通過点』ととらえている」
簡単い言えば、『コンテンツ学力』と『ノウハウ学力』と言う事が出来る。世界史の年号や二次関数などの『コンテンツ』そのものは社会に出て役立つことは比較的少ない。
だが記憶力や、計画力、計画に沿って勉強をこなす実行力、過去問を分析して、どういう対策をするかを決めていく情報処理能力などの『ノウハウ』は、社会に出てからも役に立ちます。
だから、3年間死ぬ思いで勉強した人のほうがコンテンツ学力は高いだろうけど、社会に出て使えるのはノウハウ学力。知識量が足りなかったり、苦手科目があったりするにもかかわらず、受かることのできる能力としての『ノウハウ学力』のほうが社会では生きるのです。